腐った羊羹

 虎屋文庫の作品を作っている時、アーカイブとモノと人の関係について考えていた。
映像の中に登場する羊羹の缶詰のひとつは中身が入っていて(一方の缶詰だけ膨張して大きくなっている)、50年以上経過し、それこそ腐っている。

 今、虎屋文庫で働いている人たちや私が死んだ後も、羊羹の缶詰はそこあった。いつもは薄暗い倉庫にいるのだけど、何十年何百年かに一度撮影の時に箱から出してもらって「かわいいね」なんて言われて、また薄暗い倉庫にもどっていく。羊羹自身、僕はいつまであり続けるんだろうかと思っていた。地球がなくなる日までそこにあるんだろうか。戦争が起こっても、缶詰ゆえに銃弾を弾き飛ばし、兵隊が水を飲むための柄杓になったり、あるいは形を変えて武器になるかも知れない。でも運よく羊羹の缶詰は羊羹の缶詰のままだった。かつて「かわいいね」って言ってくれたもういない人々のことを考える。羊羹の缶詰が最後に見る風景ってどんな光景だろ?

 もちろんモノには命がないのだけれど、そういう風に考えてしまうところがある。