死んだ犬がそこにいること

私と山下澄人さんの小説との出会いを書こう。遡る事2年前。清澄白河 SNACのパフォーマンスシリーズ2015 vol.1 飴屋法水『コルバトントリ、』。その頃、飴屋さんの舞台を見たいと思っていてチケットを取った。SNACは街のぽつぽつとした商店街にある、古い居抜き商店を改造した白いスペース。客席と舞台と道路は地続きで、もちろんドアや窓みたいなものは無く外からも丸見えだった。その日はちょうど冷たい雨が降っていて、とても寒かった。担架に乗ったアロエが光/青柳いづみさんのあまったるい関西弁/くるみちゃんのお絵描き/目つきが悪く体が大きい男(山下さん)に抱っこされるくるみちゃん/飴屋さんが登場してガラッと空気が変わる/と このぐらいの事しか覚えていない。いったいどんな話だったのかも覚えていない。私は体の冷えと共に頭が痛くなり、お腹も痛くなり、トイレも行きたいしで、正直早く終わらないかと思っていた。終演後、即座に文明のコンビニに駆け込み、トイレを借りて、暖かいコーンスープを買った。そして、数日後。なぜかコルバトントリが気になって、図書館に行った。コルバトントリは無かった。私はたぶんこの興味の機会を失ったら、人生で山下澄人に興味を持つ事はないだろうと思い、図書館にある彼の単行本を全部借りた。『ぎっちょん』『砂漠ダンス』『ルンタ』の3冊。読んだ。わからない。はてな(?)いったいこの人は何を書いているのだろうと。はじめての感覚。まったく意味不明な文章に度肝を抜かれた。わからないなりに読み進めていく。だんだん慣れてくる。やばい。泣いていた。やさしい。とてつもなく優しい小説だ。それからまたしばらく忘れた。そして、2017年。やっとコルバトントリを読んだ。仙台駅の本屋で買った『鳥の会議』の文庫も読んだ。なぜだか、また涙がでた。もうすでにストーリーは覚えていない。ストーリーよりも、生きて/死んで/過去/未来/現在/の人や犬や鳥や植物がすべての時空間をとび越えて、ひとつの舞台にブワーと立ち上がってくる。その事に涙が出た。前もそうだった。とっても優しくて、すごく面白い。山下さんの小説は、私たちが見ている世界と似ているけれど、まったく違う時間軸を持った『しんせかい』なのである。ひょんな出会いから、山下澄人さんの小説に出会えて良かったと心から思う。